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2005年01月23日

縄文時代へレッツゴー!

縄文時代は紀元前1万年から紀元前300年ころまでの間をさします。大体9700年間続いたことになりますね。紀元後になってからようやく今で2005年目ですから、縄文時代はその五倍弱の長さを誇ったわけです。気が遠くなりそうな話ですね…。

なぜ1万年から始まったかというと、気温の低かった時代=氷河期がその頃に終わり、温暖化によって、自然環境が大きく変化して、人々の暮らしもまた新しいものへと移り変わったからです。つまり、そういったニューライフの総体を、私たちは縄文文化、縄文時代と呼んでいるんですね。暖かい気候のもとでは豊かな自然がはぐくまれ、人々の生活のレベルも向上しました。

では、そもそも縄文とは何か?この時代のシンボルとされたのが、縄目の文様の土器=「縄文土器」だったわけですが、土器というのは作るのがタイヘンです。こねて形をととのえ、焼成してなどなど、高い技術が求められるのですから、「ここまで文化の質があがっているんだよ~」という、一番分かりやすい目安になりますよね。

土器はともかく、縄文自体はおうちでもカンタンに作れます。縒ってある縄を一本用意し、それをほどいてもう一度縒ります(縒り方は忘れちゃったので、皆さんで適当に)。それを粘土の上でころころ転がせば完成です。他にも色々縄文のつけ方はありますが、学生時代に習ったのはこの方法でした。図の左が完成想像図です(タブレットを使い始めたばかりで、図がホント下手くそですが、ご容赦下さい)。
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縄文土器の特徴は、全体的に黒っぽく、厚手で、もろいことが挙げられます。焼成温度もそれほど上げることができず、うすい肌の土器はまだ難しかったのでしょう。ただ、中には図の右のような、複雑怪奇な「火えん土器」というのもあり、相当レベルの高い技師(この場合は芸術家、といった方がピッタリくるような気がします)がいたことをうかがわせます。どういう人がこんな奇想天外な土器をこしらえたのか……想像するのも楽しいですね。

「火えん土器」はともかく、フツーの縄文土器の使い方は、「煮る・炊く・保存」の三つが柱だと思われます。どうやらお酒や塩も作れたそうです。食生活が豊かになって、お母さん大助かりですな~。

次回は縄文時代の衣食住です。

2005年01月24日

縄文時代の衣食住

今回は衣食住についてのお話ですが、前後をひっくり返して、住・食・衣という順番でいきたいと思います。

まず住について。人々は「竪穴住居」と呼ばれるウチを作って家族仲良く(あるいはケンカしながら?)暮らしてました。竪穴住居は、下図のような感じで発掘されます。この柱穴に木の柱をたて、ウチの骨組みを作り、壁に板をはり、屋根をススキなどで葺いて、復元したりします。ちなみに「竪穴」というのは、下図のように、地表からタテに深く床をとるからです。
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こういった竪穴住居が平均4~6軒集まって、集落(ムラ)と呼ばれるものが形成されます。なんとこの集落、夏用と冬用と使い分けているところもあったとか。別荘みたいでなんかうらやましい…。


次は個人的にとっても関心のある食(笑)。お父さんたちは弓矢や槍などの、狩りの道具を使って、森や草原へくりだしたのでしょう。そして獲物を集落に持ち帰って、石匙(せきひ:図の左を参照して下さい)で皮をはぎ、肉を切り取っていきました。あるいは川へ行き、釣りをしたり、石錘(せきすい:石のおもりのこと。図の右を参照して下さい)にあみを結わえ付けて、わなをはったりと大忙しです。
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お母さんたち女性陣ももちろん頑張ります。貝類を集めたり、クルミやクリを拾ったり、食材を確保する他にも、調理の仕事もあります。その他、パン(!)を作ったり、ゴボウなどを栽培することもありました。
現代人の軟弱なあごでは咀嚼するのもタイヘンそうですが、一回くらいは縄文人と食卓をともにするのも楽しそうです。

ちなみに、食べ終わった獲物もなるべくムダにせず、動物の骨や角は、釣り針や銛、縫い針などに利用しました。これを骨角器といいます。これも人々の知恵ですね。


では最後に衣の話題へ。石匙ではぎ取った皮は、冬の間は重宝したと思います。ただし日本列島は温暖なので、風通しのよい服も作られたことでしょう。そしてアクセサリーはホントに多いのです!耳飾り、くし、首飾り、腕輪、指輪、腰飾りなどなど、素材も多種多様で、「あのヒト、なかなかオシャレね~」なんて羨まれた人もいたかもしれませんね。ちなみに私がよくつけるアクセサリーは、せいぜい指輪かネックレス位かな…負けてるよ、私…。

次回は縄文人の実情をスクープ!をお送りします。

2005年01月25日

縄文時代の実情をスクープ?!

突然ですが、クイズです。○×でお答え下さい。

その1…平均年齢は50歳前後である。
その2…乳幼児の死亡率は高かった。
その3…現代人とちがい、虫歯など無かった。
その4…犬を飼っていたひともいた。

では採点してみましょう。1は×(30歳くらい)2は○(5~6歳まで生き延びられたのは3、4人にひとりだったとか)3は×(実はけっこう多かった!歯医者がないのにどうしたのかチト心配)4は○(狩りのお供もしたのかも)になります。

近年、縄文時代への評価が上がるにつれ、戦争も無く、豊かな自然に抱かれて穏やかな生活をしていた…といった良いイメージが先行していますが、やはり生きていくのは相当タイヘンだったに違いないでしょう。「人生ね、そんな甘ったるいモンじゃないよ!」と縄文人から一喝されてしまうような気がします。

では、縄文の人々のラフスケッチを紹介したところで、この時代ならではの、風変わりな慣習をいくつか挙げていきます。

<アナタは耐えられるか?恐怖の成人式!!>

昔の成人儀式(イニシエーション)というのは、東西とわず過激なモノが多かったそうです。うろ覚えで申し訳ないのですが、体中にいれずみを彫ったり、同性愛行為を強いられたり等々、「なんでオトナになるのにそこまでしなくちゃいけないの?!」と、現代人には到底信じられない荒々しさ。というのも、昔のオトナというのは今よりもはるかに厳しく強い存在でした。そのオトナとして認められるためには、それ相応の覚悟が求められたのでしょう。

それでは、縄文時代の成人儀式とは何か?それは抜歯と考えられています。もちろん麻酔などありません。そのままぐいぐい抜くわけです。…とここまで書いていて、自分でもゾッとしてきました。
歯医者は嫌い、抜歯するときも「麻酔が痛くてやだやだやだ~」なんて言っている場合ではありません。麻酔をかけていただくだけでありがたいのです(これからはそう思って、観念することにします)。
蛇足ですが、成人式で荒れるコドモに対しては、ぜひこの抜歯を体験してもらいたいよーな気もします。…モチ麻酔抜きで。

<なぜ破壊されたのか?謎に満ちた土偶たち!!>

土偶というのは、土製の人形のことで、多くは女性像をしています。妊娠している女性像もあれば、一風変わった像もあります。下図を参照してください。
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これらの土偶は故意に破壊されている事が多く、その理由ははっきり分かりません。ただ、おそらく人々の身代わりとして、破壊されたと考えられてます。妊娠の女性像をこわすのは、命がけであっただろう出産の無事を祈るため、変わった形の土偶は、なんらかの病気を表しており、回復を祈って壊されたのかもしれません。
縄文時代の「お守り」と考えれば、共感しやすいかもしれませんね。


まだ書き足らない点もあるのですが、おそらく次回は弥生時代に入る予定。でも気が変わって、縄文こぼれ話をやっているかも。うーん、どうするべか。