ファーストインパクト!弥生時代がやってきた!!
前回どうするべ、と言っておきながら、あっさり弥生時代へと入ってしまいました。縄文時代のネタはしばらく寝かせておいて、折をみて紹介するということで、どうぞよろしくお願いします。
さてときは江戸末期、アメリカの黒船が日本にもたらしたインパクトは相当のものでしたが、弥生時代の幕開けも、それに負けず劣らず(あるいはそれ以上?!)強烈でありました。高度にすすんだ新しい文化が、まとめてドドドドッと、縄文文化の日本へ押し寄せてきたのです。稲作を中心としたその文化は、急速に広がっていき、弥生文化と呼ばれるまでになりました。
弥生時代の始まりです。
(弥生時代は一応、紀元前300年位から紀元後300年位の、約600年間とされてますが、開始の年はハッキリしていない、というのが現状です。というのも、稲作などの文化が「伝わった」時点で弥生時代が始まるのか、「日本列島に広まってある程度根付いた」時点でやっと弥生時代といえるのか、意見が分かれているからです。個人的には後者を押したいところですが。)
この新しい文化は、大陸(日本史では中国や朝鮮半島を意味します)からやってきました。の大陸の気候の寒冷化→食料難による大混乱→難民(もしくは移民)の日本列島への流入、という背景があったと考えられてます。
弥生文化=稲作というイメージがありますが、彼らがもたらしたものは、稲作を核とした全く新しい生活様式と言っていいと思います。強引に例えるなら、アメリカ文化に染められた戦後の日本というところでしょうか。肉食、パン、ファーストフード、ジーンズ、テレビ、マイカーなどなど、日本人の生活は大きく変わりましたよね。つまり、先進地域から後進地域へ、キラキラ輝いて見える文化がやってきた!という点で、戦後も弥生時代もおんなじだと思うのです。
大陸から多くの人々がやってきたとき、縄文の人々はきっとさまざまな反応を示したことでしょう。新しい文化にすぐなじんだ人、なじもうと努力した人、カルチャーショックに悩んだ人、今までの生活スタイルを守ろうとした人、土地を追われた人……しかし、縄文人たちは結果的に彼らを受け入れ、彼らの文化をおおいに学ぶことになりました。
最後に、縄文人と、弥生人(大陸から来た人々やその血を濃く受け継いだ人たち)の顔の比較をのせておきます。むかし、「キミは縄文、弥生、どっち系の顔?」なんてやったような気がするなあ。
さんざん「新しい文化」と言っておきながら、一言も触れずに終わってしまったので、次回こそ弥生文化一色でいきたいと思います。それでは。